気になった言葉

なぜ気に入ったか考えました。不幸と思える存在にいばらの道とはいえ、救いの道があるからです。
8.6秒バズーカー」は不幸の象徴です。「ラッスンゴレライ」はよくできたネタで社会現象になりうる面白いコンテンツです。そのコンテンツを創作した「8.6秒バズーカー」は、恩恵をうけてテレビに沢山でてお金を稼いでいます。しかし日本ではおもしろいコンテンツを捜索した人たちを凄い勢いで持ち上げて色々な所で露出させたあげく、コンテンツの賞味期限が切れたと同時に持ち上げる事を辞めます。これらの現象は過去に何度も起こっている事で、現象の当事者たち、コンテンツの創作者は「一発屋」と呼ばれることになります。そして「8.6秒バズーカー」は出てきた同時に、出てきた要素のコンテンツ以外に売りがないことが判明すると、過去の現象同様にコンテンツ消費者はカテゴライズし、過去にふれた「一発屋」の流れを想定するのです。つまり持ち上げられてる途中で、あがる限界は見えないがいずれ下がる事を予想されているのです。これを不幸とです。3日後に死ぬのがわかっているのに、餌を食べる家畜上のブタをかわいがるのと同じです。
しかしこの文章では、「一発屋」にカテゴライズされたが奮闘し生き残ったコンテンツの創作者がいて、その人が作った道を学べば生き残る事ができるかもしれないと示唆されているわけです。不幸には違いないが、過去に不幸になったものが幸せになった事例もあることを示しているのです。これは幸せなことです。
そして私が長々と書いた事をたった2行で示している。これは凄い文章だと思いました。